「できる」と「したい」

 今日、アップル社CEOのスティーブ氏の新製品発表のプレゼンテーションを見た。いつものことながら、彼のプレゼンはまさにライブ・コンサート的で、ぐいぐい聴衆を惹き付けて、魅了している。現に、一流の演奏家がいつも、その途中やエンディングで出演して、会場を盛り上げている。無関心の人が見たら、新興宗教的なのかもしれない。

 彼のプレゼンから、「したいこと」を「できる」に置き換えようして、製品や技術開発をしていると感じる。逆に言えば、「できる」からスタートしていない。好きな音楽を好きなだけ、好きな場所で、聞きたいなら、どのようにすればいいのかを考え、それを技術で置き換えて行く、そんな方法で開発したのではなかろうかと感じている。

 だからひとびとが通常持つフレームワークから外れた、製品開発でリードできている。彼は究極の「わがまま」なのであろう。それが以前は、一時期、大きなマイナスとなり、会社から追い出された事もあったが、今はその「わがまま」表現が上手になり、製品開発に大きなプラスとなっているように思う。

 今の日本には、そんな「わがまま」の許容範囲がどれだけ、あるのだろうか?「できる」から始める事が常識的な世界の中で、「したい」から始めようとする人間の発言権はどれだけあるのだろうか?

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