安心「核」

“どれがぼくかわかる?”, カーラ=カスキン

 よく「いない、いない、ばあ」と言っては喜んでいる乳幼児を見る事がある。「立派に」成長した大人からすると、目の前から急に姿を消すはずのないのに、それ自体が遊びになっている以上、必ずしもそれが常識ではないらしい。この時はまだ相手が存在するどうかが遊びの対象となるが、いずれ自意識が芽生え、自分自身の存在が関心の対象となると、この本のような遊びとなるのだろう。 “安心「核」” の続きを読む