畏れと怖さ

ほうまん池のかっぱ

 この時期の恒例行事と言えば、おばけ屋敷やお化け話など、人知を超えた存在にまつわるイベント。小さい頃はひたすら恐ろしかった。どんなに小さな出来事であっても、少しでも良心がとがめる様な事をしたら、それだけで暗い場所に行く事はかなり勇気のいる行為であった。しかし、人間はどうも横着に成長する存在でもあるらしい。まるで、長らく一カ所に留まる石が時間の経過とともに、苔を重ねて青くなるのと同じく、小さい頃日々感じていた「不可思議への畏れ」をまるでもっていなかった様に、他の存在に対して「大御所」の如き振る舞いを見せる。

 この「とらまつ」も恐れ知らずの男。図体はでかそうだし、しまいちばんの力持ち。彼にかなうものもなく、いつもおおいばり。ところが、そんなとらまつの前にかっぱがあらわれ、不可思議な力でとらまつを動けなくし、つったばかりの魚を全部とってしまった。いつも負けた事がない彼は頭にくる事、この上ない。何とか仕返しをしてやろうと、かっぱに挑むが・・・・

 今、ホラー調の映画がよく上映されている。確かにストリーを見ると、「怖い」なと感じさせるものである。この商業ベースにのっている「怖さ」は人々から語り継がれていた「恐れ」と同一のものであるとは思えない。まるでジェットコースターに乗る時の「怖さ」に似ているのではないだろうか。「怖さ」の原因が外部にあるとするなら、「恐れ」は自らの心の中が創り出したものであり、持続可能な行動を促す。

 誰かが見ているから「〜しない」ではなく、自らの良心が痛むから「〜しない」、これがある意味、これまでの常識的な考え方。だがどうもそんな「常識」も崩壊してきているらしい。これからの「常識」では、相手との間にその危険性をチェックする「リトマス試験紙」というフィルターを準備する事が必須らしい。「かっぱ」がいた頃がうらやましい。

 

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