表現者の時代2

表現のビジネス

 

 島崎藤村は、1906年3月に「破戒」を自費出版している。当時この本は表現内容・流通方法において革新的であり、世間の好評を博し、3ヶ月で4版を重ねた。(p6,「表現のビジネス」)ただ、一方で自費出版の資金繰りを自ら行い、経済的には困窮を極めていた。それにしても彼はどのような動機で自費出版にまで手を出したのであろうか?

 彼は、後日1940年に出版した童話集「玉あられ」の巻末に自費出版の経緯が述べている。彼曰く、

『私が柄にもない自費出版なぞを思いたつたのは、實に當時の著作者と出版業者との関係に安んじられないものがあったからで。何とかして著作者の位置を高めたい、その私の要求はかなり強いものであった』

つまり、当時の著作者が「食えない」生活環境に置かれているのに対し、その制作物を売る側の出版社の社員が「食える」環境にある矛盾に憤り、アーティストとしての誇りをかけて自費出版に挑んだわけだ。

 時代は流れ、60年以上前には脆弱だった「著作権」は法律になり、作品市場の川上側の立場は強固になったと言えるであろう。しかし一方で創造力が増し、技術進歩に応じた魅力的な作品が出て一般消費者の満足度は向上しているのであろうか?書籍、音楽、映像関連に関して言うなら、必ずしもそうなっているとは思えない。創り手と受け手との間のダイレクトなキャッチボールがネットを通じて試みられている米国のサービス事例を見るにつけ、今の日本市場とのギャップを感じてしまう。ひょっとして著作権によって強化されたのは、真の作り手である「制作者」ではなく、一般消費者と制作者の間に立ち、その制作過程を演出する「製作者」としての立場ではなかろうか?

 多対多がインタラクティブ(双方向的)に成立し得るインターネットを使うことで、創り手の喜びを受け手に伝え、逆に受け手の思いを創り手に伝える創造的な仲介システム/業者がこの日本でも生まれ、活躍する時代を期待したい。

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