今昔

 今日、何年かぶりに萩に行ってみた。そこはかって幼き頃に見た風景がそのままに残っていた。多分、新しい建物も増え、道路も新たに作られているはずである。それなのにあまり違った印象を持たなかった。

 ここに百年以上前、この日本の歴史そのものを大きく変えてしまった人々が存在し、毎日「おはよう」とか「こんにちわ」等の日常会話を繰り返していた。そして何か大きな事件が起きると、ちょうど今みたいに「あそこの息子、〜したそう」などと近所からうわさが飛び通っていたろう。

 その当時、人々は当然、徒歩で移動していた。歴史書を読む限り、例えば長州から水戸、高知、薩摩など今なら飛行機か新幹線で行く場所をひたすら徒歩、時に籠に乗り、移動していた。単に「人」に出会い、話しをする為に。今でも東京に行って、山口から来たと言うと、必ず枕詞みたいに言われる言葉が、「まぁ、遠くから来て、大変だったでしょう。」である。これを言われない方が珍しい位で、正直この言葉には食傷気味である。そして「歩いて移動してきた時代と比べて、はるかに楽だよな。何しろ、移動もその当時は命がけ。しかも今の標準語がある時代とは違い、方言だらけの時代で意思疎通に困難さがあった訳だから」などと思わず、独り言をつぶやいてしまう事もある。

 彼らは何を求めてそんな旅を続けていたのだろう。水戸、高知、薩摩への「観光旅行」だろうか。多分、違う。それは「人」に会いに、そしてその人が持つ考え方や情報をどん欲に求めて移動していたのではないだろうか。「場」は人材を育成する空間であり、そこに時代の流れを背負った人が存在する時に初めてその「場」が活性化される。彼らの様な「とがった」感性を持った人材だったからこそ、情報が集中している江戸からはるかに離れた場所においても、時代の流れを感じ取り、大きな波に乗る事が出来、結果として周りに人が集っていた。

 今、彼らの姿から学ぶべきものはないのであろうか。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です