試練

 今、日本はこれでもか、これでもかと言わんばかりのチャレンジを天から受けている様な気がする。テレビのスイッチを入れれば、全く律儀にそれを正確に伝えようとする番組が朝から夜まで流れている。この様な現状の中にいると、不景気の真ん中にいた感があった数ヶ月前がもっと明るかった気がしてしまうから不思議だ。

 今回の出来事は、既存のシステムと新しい動きがぶつかりあって生じた事件や事故の延長線上にあり、この自然災害は何となく最後のダメ出しみたいで、これでも変わりませんかと問いかけられている感じだ。もちろん、自然災害などは、社会の状態と直接な因果関係はないだろうが、人によっては、象徴的な出来事として解釈される事もあり得るだろう。

 つまり戦後から高度成長期に築き上げて、暗黙のうちに了としてきたシステムや仕組みを少しずつ変革しながら、新しい仕組みに移行して行く事、すなわちソフトランディング的なアプローチを止め、政権交代という形でハードランディング的な道を国民は選択した。しかし、その後、先行きが見通せない中での今回の出来事に遭遇してしまうと、これを象徴的な捉え方をしてしまう自分が存在するのだ。

 いずれ「将来の大人達」にバトンタッチすべき時期が来る。あなたが資産家であろうとなかろうと、経営者であろうとなかろうと、老若男女に関係なく、時の神が次のステージに駒を進める。そして、彼らや彼女らが引き継ぐのは、「今の大人達」が築き上げている社会がベースとなる。それが最悪のものであれ、最善のものであれ、引き渡し式で「強制的に」譲与される事になる。

 新しい酒は新しい器に入れるという言葉を聞いた事がある。NLP(神経言語プログラミング)的な言葉を使うなら、年数を積み重ねて学んできた(思考/行動/感情)パターンを、新しい目標にフィットした(思考/行動/感情)パターンにソフトのバージョンアップを行い、その新たなソフトを使って、新しい仕組みについて考察する道を歩む時期が来ているのではなかろうか?

 

 「道程」 高村光太郎作

僕の前に道はない

僕の後ろに道は出来る

ああ、自然よ

父よ

僕を一人立ちさせた広大な父よ

僕から目を離さないで守る事をせよ

常に父の気魄(きはく)を僕に充たせよ

この遠い道程のため

この遠い道程のため

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