あるところに、大きな屋敷にひとりきりで暮らしていたおじいさんがおりました。近くに、もうすでに成人となって、働いていた息子のごんたが住んでおり、気が向いた時にはぶらっと立ち寄っておりました。
そのおじいさんは、近所でも大評判のお人好しで、人の困った様子を見ると黙っておられない性分で、どんな事でもつい話にのってしまうところがありました。そんな性格が災いしてか、親の代の豊かな財産も人からだまされる事が多々あり、ついには今の家屋敷が残されるだけとなりました。そんな様子を側でみていた息子も青くなったり、赤くなったりしていましたが、当人は全く気を病む事なく、独り身の寂しさを時に思いながらも、安楽に過ごしておりました。
さて、おじいさんには天気の良い日に近所の公園を散歩する習慣がありました。そこは昔からなじみのある公園で、おじいさんの子供時代によく過ごした所でした。そんな公園内をいつものように散歩していたとき、向こうの方からヨロヨロと歩いてくる薄汚れた子犬に気がつき、急いで歩き寄り、優しくしっかりと抱きしめ、独り言の様に「大丈夫か?」と語りかけました。するとまるでその言葉を子犬が理解したかのように、「くぅん」と鳴いたのです。
おじいさんはそのままにしておけず、家に連れて帰り、その晩を徹して看病し、翌日にはすっかり元気な姿に戻りました。その日以降、その犬を「ちび」と名付け、おじいさんの日課は、一人きりの思い出を楽しむ散歩から、そのちびを喜ばせ、そしてその喜ぶ姿を喜ぶ為の散歩に変わり、前以上に充実した時間を過ごす様になりました。
しかしそれまで一心に愛情を注がれていたごんたにとって、そんな情景はあまり面白い風景とは言えませんでした。今や、おじいさんの日課はちびを中心に回り、たまに出会っても、話題の中心はその子犬となるばかりでした。初めは気にしない様にしていた彼にとっても、次第に不満がたまり、時に陰でちびをいじめるようになり、ちびは警戒心をもつようになり、ちびとごんたの関係は悪化してきました。
そんなある日、遂にがまんしきれなくなったちびがごんたの手をガブリとかむ事件が起きてしまいました。彼も激怒したあまり、父親の制止するもかまわず、ちびを保健所に連れて行ってしまいました。我が子の様に育てていたおじいさんにとって、それは身を引き裂かれる思いであり、毎日を悲観の中で過ごす様になりました。それをみていたごんたは、時間が経ち冷静になっていた事もあり、自分がおじいさんにつらい事をしたのだと悟る様になりました。
そこで、事情を話し、返してもらおうと保健所に出かけたごんたが見たのは、元の飼い主とちびの出会いでした。その飼い主のご婦人は、ごんたから、倒れる寸前だったちびを看病し元気にし今まで育ててくれた事を知り、大変感動、感謝していました。そして、父親に是非会ってお礼を言いたいと熱心に頼み込みました。そこで、ごんたはおじいさんの家に連れて行き、二人を会わせたのでした。
玄関口で挨拶しようとお互いに頭を下げかけた二人は、まるで時計が止まった様に、その頭を止めてしまいました。側にいたごんたは不思議に思い、おじいさんに尋ねました。
「知っている人なの?」
おじいさんは相手を見つめたまま、こたえました。
「初恋の人だよ。」
そして、その女性もポツリと言いました。
「私にとっても、ね。」