関係性

 今、多くの認知症の方々と接していて、いつも頭に浮かぶ言葉のひとつに、負うた子におしえられるという表現である。サービス提供する際、必ずしも奇麗な形で事が収まる訳ではないが、いくつかの積み重ねの中で、時に日だまりの様な空気に遭遇する時がある。その瞬間、それまでの疑問や課題がぽろっと解ける、何気なく。そして、それまで空虚だった空間が豊かな色で染まる。

 ケアは、相対のサービスである。初めは、「〜する」側が主体性をもって、「される」側をリードしていても、いずれ両者の関係は、気がついたら逆転する事態になることもありえる。

 

 サービスの質を向上させるには、利用者にとっての心地よさを一貫して指向し続ける姿勢がキーファクターであるだろう。例え、記憶する力が弱くても、意識外の体感覚的な心地よさは非言語的な記号として蓄積され、名前を覚えてもらえなくても、日にちをおいて出会っても、ニコッとしてもらえる。そんな体験をしてきた。

 

 心地よさがあれば、少なくとも少しのマイナスは吸収できるし、大きな「問題」に発生する事はない。だから、日頃から沢山のプラスを貯金しておけば、次の危機的状況に陥っても、その預貯金を引き出せばいい。感じ方は感染する。心地よければ、周りも心地よくなるし、ブスッとすれば、周りも不快な感じ方を持つ。例え、愛想笑いをしていたとして、その根になる体感覚はごまかせない。

 

 もしサービス利用者を心地よい状態にしたいなら、まず、自らの状態がそうなるしかない。人は、共感する生き物である。そんな共感力を最大限効果的にするマネジメントシステムを通じた蓄積が伝統となり、伝説を生む。所謂、一流と呼ばれるサービスを継続している組織は、例え、人が変わろうと、その質を維持できているし、その背景にはスタッフの共感を引き出すシステムが構築されている。

 

 だが、「見える化」するツールであるシステムを単に導入したところで、それは機能しない。所詮、ツールはツールである。大事な点は、そのツールの使い手の「思考スタイル」であり、どの場面でも同じパターン化されたスタイルでは、利用者の「心地よさ」を引き出せず、単に管理する為だけのツールに成り下がる。

 

 結局、サービスで大事な要素は、利用者のニーズに応じた柔軟な思考スタイルの展開である。

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