家庭内で醸成される役割と感性が、子供の将来の方向性を決めるという指摘は確かにその通りだと感じている。人は馴染んだ世界や同じ考え方や感じ方を持つ人々と寄り集い、異なる世界とは距離をおきがち。断捨離はなかなか困難。結果、子供時代に過ごした大人達がこの世から去った後も、その時に身につけた「空気」を背負い続ける、良くも悪くも。将来、何を求めているのかを見定めた上で、「大人」から引き継がれた「子」へのアセットを、時にリセットする場合もあるだろう、覚悟を持って。
時を歩く
変化する時代において、多くの決まり事がマニュアルからガイドラインに変容する。そして形骸化した約束事は「本来は〜すべきだけど、実際はこうしている」的な使い方に変わる。人はそれぞれの背景の違いから、例え同じ時を過ごしていたとしても、違う時代に活きている。未来を見つめている者はその実現するかもしれないシーンの中で今を活き、過去の栄光に浸っている者はその時代に通用した役割を演じている。そして両者は同じ言葉を使いながら、異なる価値観を持ち、違った目標設定をする。
貴方達は何に喜びを感じ、何を目指しているのだろう?10年後、20年後、30年後、どうなっていきたいのだろう?その時、AIやロボット等の技術進歩が社会をどの様に変えていっているのだろう?これから積み重ねていくだろう判断と行動が、その時の位置を決める。貴方達は、「今」の大人が見る事が出来ない未来を旅するタイムマシーンの乗務員であり、「今」の風景からは想像し難い未来を旅する。不確実な未来で貴方達が唯一確信出来る事はドキドキ感だったり、やりたい感。さて、どんな未来を創っていきたい?
姿勢
初めて色を見る人の動画です。他にも同様の動画がありますが、一様に絶句状態ですね。
モノ作りやサービス活動を通じて、時にこんな瞬間に立ち会えた時、本当にやってきた良かったと思えるのでしょう。やはり「何故」がその仕事の本質を支えるのかなと感じました。