ひと月前まで日々うだる様なあつさもこの時期になると、すっかり秋模様になりつつあり、蝉の声も耳をよく澄まさないと聞き逃してしまいそうだ。公園に行ってみると、夏の主役だった蝉たちの、残滓があちこちに散らばっている。
空を見上げても、あの憎らしいまでの雄々しい入道雲も見当たらず、柔和な表情を見せている。それにあわせるかの様に、人々の装いも変わり、肌寒くなってきた環境の中で、長袖がちらほろ増えてきた。
四季ほど顕著ではないにせよ、私たちの生活環境も日々変化している。自分の子供時代のモノクロの写真と今デジタル化された写真を見比べると、まるで子供時代の写真が戦後直後に撮られたのかなと思ってしまうほど、そのギャップは大きい。
”10年、ひとむかし”と言われるが、この時代は、携帯電話、ネットやコンピューターがなかった時の生活環境と、それが満ちあふれ、あって当たり前の時の生活環境が、地域や年代ごとに住み分けて、混在している。
時にこの二つの環境のそれぞれの住人が事件等で交錯し、前の住人たちが驚き、パニックになる場面もみられる。しかし、それも時間の問題で、いずれ新しい生活環境がこの世界を覆うようになるだろう。
栄枯盛衰。環境の変化にあわせて、大きな時代感覚を持ち続けていく事の大事さを蝉の姿が教えてくれているような気がした。