破壊と創造

・ネットでの動画配信がいよいよ本格的になる可能性がありますね。

・パラダイムを一言で定義するならば、「思いこみ」なのです。思いこみの罠にはまってしまうと、人間は思考を止めてしまいます。これは非常に危惧すべきことなのです。この罠にはまってしまった商品の事例として、1990年初頭にLDカラオケでシェア1位であったパイオニアが挙げられます。カラオケ映像の美しさを強みと考えていたパイオニアは、通信カラオケの映像を見て「こんなものはカラオケではない」と思いこんでしまったのです。しかし、実際の顧客である若者たちがカラオケに求めていたのは、映像ではなく最新の曲が歌えることでした。このパラダイムシフトにパイオニアは気がつかなかったのです。2000年には、カラオケ市場の94%が通信カラオケになり、パイオニアは姿を消しました。(原 和彦氏引用) “破壊と創造” の続きを読む

作り手の見方と読み手の願い

・専業主婦は日本の伝統などではない。100年前、ほとんどの日本人は農民で、農家の主婦は田畑を耕し、種を撒き、刈り入れをしなければならず、専業主婦などではなかった。
・では、専業主婦はどこから現れたのか。20世紀初頭、日本の経済発展と工業化によってホワイトカラーと熟練労働という男性のための仕事が生まれた。初期の工業化では、男性のための仕事を作ることができなかった。初期の工業化が生んだのは繊維、服飾工業に代表されるような女性のための仕事だった。しかし、1920年代から、鉄鋼、金属製品、造船のような重化学工業が発展し、巨大な会社組織が生まれ、熟練労働者とホワイトカラーという、男性のための高い給与の仕事が作られるようになった。彼らは家族が生活できる以上のものを稼ぐことができた。彼らの妻は家庭の外で働く必要がなくなり、家庭内で働くことになった。こうして専業主婦が生まれた。(bizplus記事引用)

・この「出版取次」と「書店」は多くの問題点を抱えています。

“おとうさんのえほん”, 高畠純(著) “作り手の見方と読み手の願い” の続きを読む

存在の連続性


携帯電話やパソコンの無いころのほうが、人の思いも濃密に伝わっていたような。
手軽に繋がるようになると、希薄になるような感じですね。
人と人のつながりは、手段では解決しないようです。
渓谷を流れる水は、上から下へ絶え間なく流れるから、いろいろな表情を見せてくれる。
絶え間なく流れることが使命のようにも思えてきます。
絶えることを恐れているのかもしれませんね。

 

“おじいちゃんは106さい”, 松田もとこ(作)/菅野由貴子(絵)
 どの時代においても、人はつながりを求め、その為の手段を開発して来た。

 のろし、飛脚制度、郵便制度、電信、固定電話、そして、携帯とメール。そして携帯とメールに至っては、個別性が高くなり、家族などのグループとの共有領域を敢えて持とうとしない限り、価値観の共有や世代間の交流を避ける事が可能になったように思える。共通な場所や時間にいる事が可能なグループか、同じ価値観を有し、ある意味心地良いグループとのつながりを自然に深めようとするだろう。

 この絵本にある様に、3世代以上の家族の中で、異なる考え方、思いを理解しようとする基盤が創られる事が理想であろう。その中で、人の「生」から「死』までを一貫した自分自身の歴史の中で体験する事により、「体験として」として、絆体験が心に残るのではないのか。そして自分自身がどのような状況になろうと、存在する事を確信でき、「絶える事を恐れる」必要はなくなるのではないだろうか?



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