Accountability

“からすたろう”, 八島 太郎 (著)
 ある村の小学校に、他のお友達にどうしてもなじめない「ちび」という男の子がおりました。いつもひとりぼっちでいるので、そのうちにひとりで楽しく過ごすことができるようになっていました。

 皆から馬鹿にされ、それでも通って来るちび。しかしこのような状況も最上級生になった時のいそべ先生との出会いにより、少しずつ変化し始めました。そして最後のがくげい会での彼のカラスのなきまねによって、それまでの彼と友達との壁が崩れ、みなから親しみをこめて、「からすたろう」と呼ばれるようになりました。

 ひとつの尺度で見る限り、長いと短いは常に存在し、長い方が優秀であるならば、長い人は「優秀」、短い人は「非優秀」にならざるをえないであろう。ちびは、明らかに「劣等生」。しかし、それが名伯楽のいそべ先生から見いだされ、ついに友人達から尊敬される存在となる。まさにもうひとつの尺度をいそべ先生を子供たちに示したのである。そして、そのことは、いそべ先生自身がそれ以上の数の尺度を内に抱えていた事を意味している。

 時代を経て、サバイバルしている組織は内に目に見えざる「規範」を抱えている。それはそれまでの社会環境の中で適応していく為に必要不可欠な「ルール」であった。だが、内の「ルール」に従って提供されたサービスやモノが外部の消費者(利用者)から拒否される事態になった時、その組織のトップはどう行動すべきであろうか?

 ちびは学校からそれまで提供されていた「サービス」の次元から大きくずれていた。そしてそのずれを友人達は劣っていると見なし、馬鹿にしていたのである。しかし、いそべ先生は、そのずれを既存のサービスではカバーできない、新たなニーズとして捉え直し、別なアプローチを試みたのであろう。少なくとも先生は、クラスの最高責任者として、もうひとつの切り口を見いだし、クラスという「組織」をひとつにまとめあげたのである。

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