へさき

長く歩いていると、時に自分が何をしたいのか、このままで良いのかと理由も無く不安になる事がある。そして過去、輝いていた時代の自分自身の姿を思い浮かべ、悲観に陥るかもしれない。

感情は「なる」ものではなく、「する」ものである。どの感情を選択するかは、自ら決めている。周りの状況や環境ではない。あくまでもそれらの外部環境から受けた刺激に自らの「味わいたい」感情を選択している。

かって燃え上がった瞬間、貴方には「ミッション」があった。「丸虫を沢山捕獲し、それをバケツに入れ、3人でワイガヤしながら観察する」、例えば。それでは、「今」は?どのような「ミッション」を抱えている?」そして貴方の周りにはそのミッションを支えてくれる7人の人は誰?ミッションがでかければでかいほど、一人で実現する事は難しい。

人は「馴染み」の動物である。例えそこに痛みがあったとしても、それまでの慣れしたんだ「馴染み」に拘り続ける。でも貴方の心の底では、「何かが違う」とぼやき続ける。場所を変わり、人間関係が変わっても、結局、貴方自身はいつも一緒、変化しなければ、その声は貴方の耳元でずっとささやき続ける。そしてそこから逃げることは出来ない。

人の魂、本質的な想いは変わらない。それが「丸虫」であろうと、なかろうと。貴方は何をもって「心地良い」と感じているのだろう?人は痛みを避け、快を求める、自動的に。意識で違う方向を目指しても、知らぬ間に(無意識に)初めの道に戻っている。「ぶれぶれ」の状態。なら、その「心地良さ」を意識して、計画的に一歩一歩進み続けた方が良いのでは?

貴方には、朋友が必要。そして、それは同じ心地良さを共有し合う人達がベスト。「この花はきれい」と共感し合う人達なら、余計な説明は不可で、スピード感が出てくる。

次のステージに上がる為には、やはり「変える」勇気と痛みがある。それが環境か、人間関係か。魂を共有し合う朋友が側にいれば、それだけ楽になる。

後は、貴方の決断次第。10年後、20年後、後ろを振りかった時、「やれば良かったな」と思うのか、「出来るだけの事をした」と思うのか、貴方はどちらを選択するのだろう?