“おとなしいきょうりゅうとうるさいちょう” /マンフレット・シュリューター絵 |
“さあ、才能(じぶん)に目覚めよう” |
この物語の主人公「ちょう」と「きょうりゅう」は本来の自分とはまったく正反対の名前を付けられ、くるしんでいた。しかしある時、「ちょう」と「きょうりゅう」がふとした偶然で互いを知り合い、お互いが同じ様な苦しみを持っている事を知る。そこで「おとなしい」と「うるさい」という名前を交換し合い、本来の自分を取り戻し、幸せになっていくというお話である。話の合間にいくつかの楽譜が載っており、音を奏でながらお話をしてゆくことを想定している。
自分が自分らしく生きられず、心のどこかで「これは違う」と自問自答しながらも、表面的には回りに合わせて生きて行く、だけどある日を境に自分探しを始め、ついに自分らしさを見つけ、やっと安住の地にたどり着く、この絵本はこのようなストーリー展開になるのだろう。現実には、この自分探しというのは、そう簡単な事ではなく、パチンコ玉のようにあっちにぶっつかり、こっちにぶっつかりして、ようやく到達できるものなだと思う。そしてそのギャップが大きい人ほど、苦しみの度合いは大きいのだろう。
「才能とは、無意識に繰り返される思考、感情、行動のパターンである。」そして、「才能、知識、技術。この三つが組み合わさって初めて強みが生まれる。」(”さあ、才能に目覚めよう”p34)内面的である生きている事の充実感と、外面的な生きて行く術の方向性を同一のものにした時に初めて、孤立感なく、つながりを維持しながら、自分らしく生きる事ができるのではないかと思う。