MFとAF

「焦点を変えることで、気持ちや見方、考え方が変わります。」(「”人生を変えた贈り物”」)

「意識のフォーカスはなぜ大切なのだろう。それは何にフォーカスを当てるかによって、世界がどう見えるか、あなたが何をするかが決まってくるからだ。」(”人生を変えた贈り物”, p81)



 

 公園に行き、いつもの様に写真を撮った。そして目に止まった小さなクモにカメラを向けた。しかしどうもAFでは、小さな点の様なクモを被写体としてカメラが認知してくれず、シャッターを押すたびに、クモとその背景にある小枝に焦点が移ったりしていた。

 二枚とも同じ方向に向けて、撮っているのだが、小枝が撮れている写真には、本来、いるはずのクモの姿が写っていない。ファインダーの中から見える風景もクモが消えたり、現れたりしていた。居るのに消えている状態なのである。


 カメラには、自動的に焦点を合わせてくれるAFと、自らが焦点を合わせなくてはいけないMFがある。基本的には前述のAFが便利であり、普通はこのモードにしている。しかし時に、今回のクモの様にあまりにも小さい対象物だと、どうしても機械の方が的確にその対象物を捉える事ができず、その前後をうろうろして、まともに撮る事ができない。

 そんな時は、やはり手動のMFの方がより的確に描写できるのである。
 AFが世の常識、既存の知識のフレームワークだと看做すなら、MFは自らの感性をフルに使って感じ取った世界観だと言えまいか?世界が大きく変貌して行きつつある時に、AF的見方が主流の社会では、時代の変化に追いついて行く事はできず、それまではマイナーな存在であったMF的見方ができる、「個人」の意識を強く持った人間がいずれ台頭して、主役交代にならざるを得ないであろう。これが今の経済界の状況であろう。

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