作り手の見方と読み手の願い

・専業主婦は日本の伝統などではない。100年前、ほとんどの日本人は農民で、農家の主婦は田畑を耕し、種を撒き、刈り入れをしなければならず、専業主婦などではなかった。
・では、専業主婦はどこから現れたのか。20世紀初頭、日本の経済発展と工業化によってホワイトカラーと熟練労働という男性のための仕事が生まれた。初期の工業化では、男性のための仕事を作ることができなかった。初期の工業化が生んだのは繊維、服飾工業に代表されるような女性のための仕事だった。しかし、1920年代から、鉄鋼、金属製品、造船のような重化学工業が発展し、巨大な会社組織が生まれ、熟練労働者とホワイトカラーという、男性のための高い給与の仕事が作られるようになった。彼らは家族が生活できる以上のものを稼ぐことができた。彼らの妻は家庭の外で働く必要がなくなり、家庭内で働くことになった。こうして専業主婦が生まれた。(bizplus記事引用)

・この「出版取次」と「書店」は多くの問題点を抱えています。

“おとうさんのえほん”, 高畠純(著)

今回のテーマは、「どうして絵本の世界では、父親の世界が希薄なのか」という話題である。むろん、「おとうさんのえほん」の様な、多分父親が読んでいて、一緒にホッとできるような絵本はまだ他にもある。しかしその数はあまりにも少ない。

以前、出版関係者に同じ問いをしたことがあるが、やはり書き手がいないと言う事につきるらしい。つまり、いつも家庭に居て、絵本を買う層が圧倒的に母親で、しかも書き手が同じ視点を持つ母親となれば、今の状態になるのが当然であると言う訳である。別にここで今までのあり方の是非を問うつもりはない。

ただ、ここで問題としたいのは、これからのあるべく「社会状況の変化や顧客層のニーズに応じた出版」である。つまりマーケティングという考え方である。一般的に、現代は、製品もサービスも川上から、川下に選択権が移ってきており、そんな「きままな消費者」(=生産者の規格から外れてしまう人達)のニーズをつかむ為に、様々な努力が続けられている

それぞれの製品が作られて来た時には、それなりの社会的必然性があり、その中で商品開発や製造、販売チャンネルなどが形成される。しかし、社会環境が大きく変わることで、それまでの前提条件が消滅し、消費者意識や生活構造が変貌する。しかし、それにも関わらず、いわゆる「cash cow」という、安定した収益源を持つと、ややもするとそこでのシナリオに固執しがちで、徐々に沈み行くことが分かっていても、新たに船を創り出そうとしない。まるで、少しずつ温められて、ついには沸騰で死んでしまうカエルみたいなものである。

書き手から、その読み手までのチャンネルのどこかにつまりがあれば、多分、読み手のニーズが反映される事なく、従って「代替品」に消費者の関心は移るであろう。世界的にも識字率が非常に高い国民が書籍に全く関心がなくなったとは思わない。むしろ、肝心要の「商品」そのものの魅力がなくなりつつあると言った方が正しいのではないだろうか。読むのに簡単ではない「ハリーポッター」がヒットした事も読み手市場の潜在可能性を感じさせる。

共働き世帯や単親家庭が出現し、「だっこしながらこどもに」読み聞かせようとする、読み手の背景は多様になりつつある。いつまでも「いつも家庭に母親がいる」状況の中での読み手を想定したと思われる「絵本」だけでは、限界があるように思われる。

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