つなげていくもの

そういう大切なものをしっかり目を開いて見なさい。耳を澄まして聞きなさい。全身で、感じなさい。それが生きているということです。

“Stary hungry, stay foolish.”
(ジョブズの卒業祝賀スピーチ,2005年6月12日, スタンフォード大学原文)

“さっちゃんの まほうのて”
たばた せいいち

 人は成長する事で得るものもあれば、逆に失うものもある。失ったりするものの中で、時に人と人をつなげていくものも含まれている場合がある。それは大事なものなんだよと、この本は語っている様な気がする。

 さっちゃんはようちえんのさくらぐみ。ある時、ままごとをする時に、さっちゃんは「おかあさんになる!」て、てをあげた。だって本当のお母さんを見て、なりたいなと日頃思っていたから。

 ところが皆が反対。そして「てのないおかあさん」はいやだと反対し、とうとうそのままさっちゃん、お家に帰って、幼稚園にいかなくなっちゃた。でもおとうさんやおかあさん、幼稚園の先生、お友達とお話をする中で、だんだん自信を取り戻した。そして幼稚園にふつどおり、通う様になり、今まで隠そうとしていたその手をお友達の前で「まほうのて」といえる様になった。 

 物事は立体である。その見る角度により、目に映る景色は異なって見える。小さければ小さい程、五感から通した景色をそのままの形で捉えている。しかし長ずるにつれ、その風景に大人から譲り受けた「解釈」を加え、「賢く」なる。

 初めはさざ波の様に少しずつ、でもそれが徐々にひとつのはっきりした輪郭をなしていき、ついにはそれまで「あるものをあるがままに」受け止めていた「風景」もある部分のみ拡大し、ついには全体像が見えなくなってしまうのである。

 小さい子は友達作りのマジシャンである。全く互いに見知らぬ二人をしばらく置いておくと、知らない間に楽しそうに遊んでいる。不思議だ。「シャイ」になってしまった大人には考えられない。また見知らぬ大人が初めて見た赤ちゃんに吸い寄せられる様に近づいて行く、まるで「光」を求めているかの様に。

 最近では逆にその「光」を嫌悪して、打ち消そうとする大人や子供たちによる事件が多く生じており、それは彼ら、彼女らが成長する過程で「暗やみ」を心地良いとする周りの大人たちの「フィルター」を生活の中で吸収して行った結果ではなかろうかと感じる。

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