絶対

“きつきつぎゅうぎゅう”
ジューリア ドナルドソン (著)

 あるいえで、おばあさんがひとりですんでおりました。あるとき、おばあさんは、ものしりおじいさんに相談しました。いえがせまいからどうにかできないのかと。

 そこでおじいさんは、めんどりを家の中で飼ってみたらといいました。おばあさんはめんどりをいれました。しかしめんどりはあっちこっち動き回るし、ものをこわすし、ついにまたおばあさんはおじいさんにお願いしました。すると、今度はやぎ。こんな風に次々とお願いするたびに、ぶた、うしをおばあさんは素直に家の中にいれていきました。それでもまだまだ広く感じません。

 そこで再び尋ねると、今度は逆に、すべてのどうぶつをだしてみたらと言いました。すると、不思議な事に、おばあさんはいえが広く感じるようになり、うきうきるんるんでした。

 白があり、黒がある。善があるから、悪がある。物事には二面性がある。議論する中で、「絶対に」という言葉を使い出したら、大抵、その議論はおかしな方向に行っているもの。もちろん、それぞれの見方にはその見方の前提となっているフレームワークの次元というものがあるから、その中では「絶対」があるが、より高い次元ではそれが相対的なものに変化している。ちょうど、鏡の中に鏡を照らし合わせる様なもので、其の次元には限りがない。

 でもあえて、そこに「絶対」という領域が必要だなと領域はある。より良き未来を築く上で最低限必要なこと、やはり、今の大人が決して見る事ができない未来に旅する、タイムトラベラーの子どもの「笑顔」かな。

 

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