表現する喜び

 このホームページを立ち上げて、ネットの言語に関わるようになった。HTMLはもとより、Perl, PHI, javascript。最初は何の事を指しているのか、まったくチンプンカンプンで手さえもつけられなかった。今でも何となく試行錯誤で基本設計図も書かず、行き当たりばったりだが、最初の頃よりはまだましになったと言えるであろう。こうした過程の中で、それぞれのコミュニティでのやり取りを見聞きして来た。

 こうしたネット社会に限らず、ライブでの空間でも同じ様なコミュニティがある。伝える手段である媒介(メディア)方法は異なるにせよ、それらの形態は同じ。何か伝えたい事があり、それを伝えるに最も適した技術とその技術を体系化したシステムやルールに基づいて、その思いを伝える。そしてその表現された思いを相手方が受け取り、反応していく。こうした循環的なコミュニケーションがキャッチボールのように行き来していく。ホームページをつくる為の言語だけが独立してあるのではなく、何かを伝えたい思いとそしてそれを受け取りたい思いが、その言語を通して、つながり合うのであろう。そんな事をコミュニティの中から、感じた。

 人の喜びは自分が夢中になって、何かを作り上げ、誰かがそれを見たり、使ったりして「よかったね」と言ってくれる時に最大になる。もちろん、貨幣社会に生きている以上、それだけでは生活ができないが、働く事に喜びが得られず、他に「遊び」がないまま長く続けるほど、その人の顔からいずれ表情が消え去っていくであろう。そしてふと、子ども時代の写真をみた時にその時の表情とギャップに驚き、例えようがない寂寞感(せきばくかん)に覆われてしまうのではないだろうか。

 そんな事を感じながら、ここ数日過ごしていた。

 

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