サービス業は、クライエントとのリアルタイムでの共同作業の側面が強い。だから、業務省力をしたければ、どうしてもクライエントの協力が不可欠。
人は、話していたり(speak)、自己対話(self-dialogue)をしていれば、外からの情報を遮断しているか、低い評価で入力(聴く、見る、感じる)している。いわゆる聞いているけど、聴いていなかった状況が生まれる。これでは、クライエントはもちろん、スタッフ間の共同作業は困難になり、結果としてバラバラの対応になり、クレーム処理とスタッフ同士の「足の引きずり合い」となる。多くの場合、どこかで「大人の対応」して丸く治めるが、根本的な解決策ではないので、日々、同じパターンで葛藤が生まれる。しかし、いずれその矛盾に対して耐久の限界値を超えた時、「職場環境を変えましょうか」となる。
本来、サービスの目指すところは、感動であり、満足であるにも関わらず、手前の不満足の解消が全ての目標となり、専門性の高い、つまりアート性の強く、クライエントや組織への愛情が強いスタッフであればあるほど、大海の海水を飲み干そうとして、燃え尽き状態にはまりがちになる。
そこに矛盾があるとき、その矛盾を解決する為には、更に上の次元に視点をおかなければ、根本的な解決する事はできない。「中にいる」(associated)感性の強さはクライエントとの関係構築では、強みになる。しかし、それは同時に大いなる弱みになり得る。自らのコントロールは、基本的に不可だから。恋は盲目なのである。
本来、マネジメント研究を行っている経営学の中に、サービス分野も含まれている。しかし、この経営学の視点は、「外にいる」(observer)世界の住人が主として構築してきている為、どうしてもその研究成果もどちらかというと、メタ認識(東大話法)的な理解が多い様に感じる。
緊急性があり、しかも高い専門性が求められる医療や福祉活動に適したサービス・マネジメントが不在の状態では、コトやモノをシステム化する事でキャッシュフローを増やしてきた株式会社が、それまでの成功体験から学んだ知見を参考にするのは当然だろう。
慢性的な離職率の高さと人材不足感は、ある意味、マネジメント側の通知表である。今までのパターン化された思考様式から脱し、計画と感性の融合を目指すマネジメントが必要になっているのではなかろうか。