よく「いない、いない、ばあ」と言っては喜んでいる乳幼児を見る事がある。「立派に」成長した大人からすると、目の前から急に姿を消すはずのないのに、それ自体が遊びになっている以上、必ずしもそれが常識ではないらしい。この時はまだ相手が存在するどうかが遊びの対象となるが、いずれ自意識が芽生え、自分自身の存在が関心の対象となると、この本のような遊びとなるのだろう。
子どもがおかあさんに尋ねる。「もし〜だったら、どれがぼくか、わかる?」と。すると、母親は、日頃の子どもの特徴を具体的に上げながら、「わかるわ」と答える。子どもは、うま、スカンク、やぎなどに次々と変身しながら、おかあさんに尋ね続ける。「どれがぼく?」と。そして迷いもなく、当てていき、子どもは「みつかった。」と答え返す。
彼は安心したいのである。どれだけ離れていても、いつも見てくれているかどうかを知りたいのである。それだけの事を知りたい為に、クイズを出していく。このような安心感を得ながら、少しずつ、遠心力をつけながら、彼らは親との距離をあけていくのである。だが、多分、どれだけ距離をあけても、その中心には、いつもそのような会話をしてくれた「親」が存在するのであろう。