むらにすむ、たぬきはたいへんないたずらものずき。いたずらをされてはかなわんと、「ごろはちだいみょうじん さまさま」とまつられて、むらのひとたちはあぶらげのおそなえをしている。しかしきつねじゃないと、またそのおそなえもも、きにくわない。しかし、このたぬき、いたずらをするいっぽうでは、りちぎなめんもあり、ぬすんでたべれば、やまのもので、おかえしをする。
あるひ、むらにはじめて、きしゃがとおることになった。むらのひとたちは、めのまえにはしってくるきしゃをみて、てっきり、たぬきのわるさとしんじこんでしまい、せんろのうえにたちふさがった。そばでそれをみていたたぬきはおどろいた。あわてて、はしってくるきしゃのまえにたちふさがり、けっきょく、ひかれてしもうた。むらのひとたちは、よこたわっているたぬきをみて、こんどこそ「ごろはちだいみょうじん」にふさわしいやしろをつくり、おまいりをするようになった。
この作者は、奈良生まれの方らしく、ここでの物語は関西地域での方言で語られ、それがこの作品のおもしろさを引き出している。しかし軽妙な内容の中にも、このたぬきのそかはかない、寂寥感の様なものも感じられる。村人達に本当は理解され、親しまれたい思いを抱きながらも、理解されない寂しさを感じるのである。
たぬきの仕掛けていたいたずらは、村人達の決まりきった流れを微妙にゆるがす、変化である。村の秩序を乱す存在と見なされていたとも感じられる。しかし、その些細な変化を創り出していた、たぬきが、汽車が通るという事を聞いて、「むねが、なにやら、いつもとちがう、みたいに、はやがねをうつみたいに、どっきん どっきん なりだしてきた」訳である。
一方で、目の前で走って来ている汽車を見ながら、村人達はその存在を信じる事ができず、いたずらだと思ってしまう。なぜだろう?なぜ、一度は汽車を見て、おどろきながら、日常生活の延長線上に生じていた「いたずら」だと断定してしまったのか?シーザー曰く、自分が見たいと欲する事しか見ていない(“痛快!ローマ学”参照)。変化を嫌うその体質そのものが、たぬきのいたずらを厄介なものだととらえ、汽車を「汽車」として見る事ができなかった原因であるように思える。